海部氏勘注系図の解説2 饒速日命の世代


 『海部氏勘注系図』は下記の順序で世代が記されてました。

海部氏勘注系図の解説1はこちら

 始祖彦火明命(彦火火出見尊)―天香語山命(鵜葺草葺不合尊)―天村雲命(神武)―倭宿禰命(綏靖)―笠水彦命(安寧)―笠津彦命(懿徳)―建田勢命(孝昭)―建諸隅命(孝安)―日本得魂命(孝霊)―乙彦命(孝元)

 その内の太字の倭宿禰命(綏靖)、笠水彦命(安寧)、笠津彦命(懿徳)は世代が降り、建田勢命(孝昭)が初代天皇となるのは説明しました。これは三世孫から五世孫に当たり綏靖、安寧、懿徳朝に比肩出来ます。その割注にも三世孫に神武天皇、四世孫には綏靖天皇の和風諡号の神渟名川耳天皇(かんぬなかわみみのすめらみこと)の御宇(時代)と有り大凡該当します。

 ここまでで復元した系図を振り返ると下記になりました。

始祖彦火明命(彦火火出見尊)―天香語山命(鵜葺草葺不合尊)―天村雲命(神武)―建田勢命(孝昭)―建諸隅命(孝安)―日本得魂命(孝霊)―乙彦命(孝元)

 始祖彦火明命(彦火火出見尊)、天香語山命(鵜葺草葺不合尊)、天村雲命(神武)は神代に相当し、この世代も数世代降り、その分注の内容の一部も同時に移動します。これは彦火明命は天照大神のプロトタイプと言われ、太陽神の神格を持った神で、その神格は当主が代々火継(霊継)していますが、それを受継いだ人物も彦火明命である故です。彦火明命は要するに複数世代にそれぞれ存在しますので個人名ではないとなります。火継(霊継)を行ったのが男性の時は男神としての天照大神、女性の時は姫神(女神)としての天照大神になります。


“海部氏勘注系図の解説2 饒速日命の世代” への2件のフィードバック

  1. 天火明=彦火明。
    =ニギハヤヒ。
    =徐福(徐市(徐『フツ』))

    徐福が出雲王国に渡来して
    出雲王国第8代大穴持(主王。帝)の
    神門の八千矛命(出雲大社主祭神)と皇后、宗像の多岐津媛命との長女、内親王の高光媛命(天道媛命)と結婚して
    生まれたのが
    長男の五十猛。
    (徐福の父親、徐猛(天忍穂耳に化ける)から猛を貰い名付けた)
    五十猛は後に丹波に移住して
    海(アマ)家を創設。
    海(アマ)香語山命を号した。

    丹波移住に当たり、
    母親の神門の高光媛命も帯同。

    高光媛命を慕う姪の大屋媛命(味鋤高彦の娘、内親王。八千矛命の嫡孫)が着いてきた。
    後に
    海(アマ)香語山命と大屋媛命が結婚(母方のいとこ夫婦)して
    生まれたのが
    海(アマ)高倉下命
    (彼の血脈、末裔の武内臣家(武内宿禰の子孫)が皇室(継体天皇~)に繋がった)

    他方、
    二度目の渡来を九州の吉野ヶ里に果たした徐福が北九州を支配する出雲王国(神門王家)の分家、宗像王家に飛び込み?
    2代目惣領媛のサヨリ媛命(市杵島媛命)と結婚して
    物部王家の祖となる彦火火出見命と
    娘の穂屋媛命を生んだ。

    この穂屋媛命が丹波国主となっていた海(アマ)香語山命に嫁いで(異母兄妹の夫婦)
    生まれたのが
    海(アマ)村雲命。

    穂屋媛が来てからと言うものは

    大屋媛命と高倉下の母子らがあからさまに阻害、遠ざけられる様になり、
    居たたまれなくなった
    高倉下命は母親の大屋媛命と共に紀伊国に移住、紀伊国造の祖となった。

    海部氏勘中系図の
    村雲大王とアビラ依媛(媛タタラ五十鈴媛命)の2人の息子の内、
    長男のオシヒト~が海(アマ)大王家(宗家)

    次男のオシオ~が分家の尾張家。

    • コメントありがとうございます♪
      内容は出雲口伝を元にしていますか?私も大元出版のおそらく全ての本を拝読し、斎木 雲州さまともお話をしたこともありますので、親はあります。
      出雲口伝は全てが間違いだとは思いませんが、口伝として伝わっている間に、伝承者が「記紀」を読んでしまい影響されている部分が多いと感じています。
      内容は興味深いのですが考古学の知見とも合わない箇所も多く、文献的にもクシヒカタ命、アタカタス命や高倉下命などの時代も、他の資料と比べると時代が合っていないように感じます。
      歴史を再構築するのではなく、箇条書きでもここが口伝として残っていると言うような内容の本だったら、今後の歴史研究に使いやすい資料となっただろうと考えています。

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