岩室稲荷神社と『伍蔵社伝記』。陸耳(玖賀耳之御笠)と日子坐王・丹波道主命の伝承。


岩室稲荷神社と『伍蔵社伝記』

 岩室稲荷神社は、京都府舞鶴市に鎮座する神社で、かつては「伍蔵社」と称したと伝えられます。『丹後国風土記残欠』には、加佐郡三十五座の一座として記載されています。同社には、陸耳との争いに加え、その命乞いと赦免を伝える貴重な社伝『伍蔵社伝記』が所蔵されています。『伍蔵社伝記』によれば、天火明命が天津磐境と神籬を設け、美伎玉・御神幣・久斯器・御祈鈴・療病金囲の五種の神宝を、五つの岩蔵に一つずつ納めたことが、「伍蔵社」の名の由来とされます。また、豊宇気大神による五穀栽培の始まり、陸耳の命乞いと赦免、丹波道主命による奇岩の称揚などを伝えており、丹波開拓・岩石祭祀、さらには敗者の鎮魂を想起させる古い信仰の姿をうかがわせる神社です。

 『伍蔵社伝記』には、天火明命と豊宇氣大神が丹波の地に降臨し、五穀や桑の栽培を始めたことが語られています。そこでは、「田庭」が後の国名「丹波」になったとする地名起源説も記されています。また、豊宇氣命が肥沃な土地を求めて五穀を播き殖やしたことや、大國魂神・久斯神らが当地を経営したことなど、丹波開拓に関わる神々の伝承がまとめられています。

 本伝記の中心となるのは、大穴持命と少彦名神の命によって、天火明命が天津磐境を設け、神籬を立て、五種の神宝を岩蔵に納めたという由緒です。その神宝とは、美伎玉・御神幣・久斯器・御祈鈴・療病金圍であり、それぞれ一つずつ五つの岩蔵に安置されたとされます。これらは、病を治し、災いを払い、国を治める神聖な印と位置づけられ、五つの蔵が設けられたことから「伍蔵社」の名が生まれたと説明されています。

 また、天火照命と陸耳との争いも重要な内容です。陸耳は討伐を受けて岩蔵へ逃げ込み、命乞いをしましたが、天火明命はこれを射ることなく赦したと伝えられます。一方、『古事記』崇神天皇段では、崇神天皇が日子坐王を旦波国へ派遣し、玖賀耳之御笠を殺させたと記されています。そのため、『伍蔵社伝記』は、『古事記』にみえる討伐伝承とは異なる、陸耳の服属と赦免に関する在地の記憶を伝えている可能性があります。

 さらに、崇神天皇の御代には、丹波道主命が兵を率いて当地を巡察し、伍蔵社の岩石が燃えるように光り輝くのを見て、その奇岩を称えたことが記されています。社人の田勞王も、岩を「日の御蔭岩」「月の御蔭岩」「綾御岩」と呼び、天津火照神や天皇の御子に愛された神聖な岩として歌っています。

 日子坐王・丹波道主命の一族が陸耳御笠を討伐した側に属することを踏まえると、この奇岩の称揚は、単なる景観の賛美にとどまらない可能性があります。陸耳が命乞いをした岩蔵を、討伐者側の一族である丹波道主命が、破壊するのではなく、神聖な岩として称えているからです。その歌には、陸耳と結びつく岩蔵を鎮め、その霊と祭祀を後世へ継承する、鎮魂と宥和の意味が込められていたとも考えられます。

 奥書には、天智十年辛未年の年紀と、永仁二年甲午年に再写された旨が記されています。ただし、これらの年紀は、本文および現地に掲示された別紙によって伝えられるものであり、現在展示されている文書そのものの物理的な成立年代を直接示すものではありません。現存する写本の書写年代については、紙質・墨・書風などを含めた専門的な調査が必要です。

 それでも『伍蔵社伝記』は、丹波の農耕起源、五種の神宝の奉安、陸耳の服属と赦免、岩石祭祀、皇族による地域平定、さらに敗者の鎮魂と祭祀の継承など、当地に伝わる古い記憶を複合的に伝える、きわめて興味深い社伝といえるでしょう。

 次稿では、現地で撮影した複数の写真をもとに復元した『伍蔵社伝記』の原文と、その訓読文・現代語訳を掲載します。


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