新しい対談番組「さららの古代史深掘り!」を公開しました】
新しいラジオ形式の対談番組「さららの古代史深掘り!」の第一回を公開しました。
この番組では、菟野讃良皇女こと「さらら」さんがナビゲーターを務め、視聴者や読者の皆様から寄せられた古代史の疑問について、私、佐藤洋太が史料や各地の伝承をもとにお答えしていきます。
これまでの解説動画とは少し趣向を変え、さららさんとの対話を通じて、古代史の謎を一緒に考えていく番組です。
【第一回のテーマは「神武天皇」】
第一回では、読者の方から寄せられた「神武天皇に投影された具体的な人物とは?」というご質問を取り上げました。
『古事記』『日本書紀』によれば、神武天皇は日向から東征を開始し、熊野を経て大和に入り、橿原宮で即位したとされています。
しかし、この神武東征の物語には、本来異なる時代に起きた複数の出来事が、一人の天皇の事績としてまとめられていると考えられる部分があります。
その手がかりとなるのが、京都府宮津市の籠神社に伝わる国宝『海部氏勘注系図』です。
この系図を各地の神社伝承や風土記の記録と照らし合わせることで、記紀が伝える神武東征の年代と順序について、新たな解釈が導かれます。
【神武東征の年代と順序は逆だったのか】
愛知県愛西市の由乃伎神社に祀られる彦湯支命は、饒速日命の孫に当たる人物です。
海部氏の系図を基準とすると、彦湯支命は十一世孫の世代に当たり、この世代には東国平定や熊野入りに関わる伝承が認められます。
一方、九州から東征した神武天皇を水先案内した珍彦命は、十三世孫の世代に当たります。また、中臣氏の系図に登場する天種子命も、東征の年代を考えるうえで重要な人物です。
つまり、熊野から大和へ入った出来事と、九州から東征した出来事は、本来二世代離れた別の歴史的事件だったと考えられるのです。
記紀では、九州から東征した神武天皇が熊野を経て大和へ入ったとされています。しかし、系図に記された世代を基準とすると、熊野入りに関わる出来事のほうが、九州からの東征よりも古いことになります。
ここに、神武東征の年代と順序を考えるうえでの重要な問題があります。
【神武天皇と崇神天皇が同じ世代に重なる】
今回の動画では、もう一つ興味深い問題も取り上げています。
それは、神武天皇と崇神天皇が、ともに「ハツクニシラススメラミコト」と称されることです。
記紀では、神武天皇は初代天皇、崇神天皇は第十代天皇とされています。
ところが、海部氏の系図を基準として世代を復元すると、両天皇が同じ世代に重なってきます。
なぜ、異なる代数の天皇に同じ称号が伝えられているのでしょうか。
この問題は、神武天皇に複数の人物の事績が投影されたという考え方とも深く関わっています。
今回の動画では、こうした問題について、具体的な系図や伝承を示しながら解説しています。
【さららさんと一緒に古代史を楽しむ】
歴史研究では、難しい人名や複雑な系図、年代の問題を避けて通ることはできません。
しかし、こうした内容も対話形式で紹介することで、これまで古代史にあまり触れてこなかった方々にも、親しみを持っていただけるのではないかと考えています。
今回の番組では、さららさんの声やキャラクター、スライドなども一つずつ制作してきました。
古代史に詳しい方にも、これから興味を持っていただく方にも、楽しんでいただける番組に育てていきたいと思っています。
お時間のあるときに、ぜひご覧ください。
また、番組で取り上げてほしいご質問やテーマがありましたら、YouTubeのコメント欄にお気軽にお寄せください。
【YouTube動画】
「神武天皇の正体」記紀の順序は「逆」だった?『海部氏勘注系図』で読み解く複数人の神武天皇と崇神天皇の謎









