『神武天皇と卑弥呼の時代』の振り返りと、『海部氏勘注系図』の一つの見方を解説します。
『先代旧事本紀』の物部氏の系譜や、膨大な数の古代氏族の系譜を纏めた、『古代氏族系譜集成』を著した宝賀寿男氏は神武天皇から崇神天皇までを六代としています。神武天皇は初代、崇神天皇は第十代と国史は伝えますので「記紀」では十代となります。この不足分の世代が、所謂初代の神武天皇より前の世代だと言うのが著者の推論です。この世代とは「孝」が接頭する天皇の一族で孝昭、孝安、孝霊、孝元天皇と続く一族で、丹後半島から大和国に入って王朝を建てました。これを「タニハ王朝」としました。
籠神社の八十一代宮司であった海部穀定氏は『元初の最高神と大和朝廷の元始』の中で、尾張氏の尾綱根命(おつなねのみこと)は、『先代旧事本紀』に天火明命から十三世孫として挙げられ、『新撰姓氏録』には十六世孫と載り、そこには三代の相違があると指摘しています。また海部直氏は建田勢命と、孝昭天皇の皇子の天足彦国押人命の後裔であると伝えます。
簡潔に説明すると建田勢命が初代天皇で、海部直氏はその末裔となります。そのため孝昭、孝安、孝霊天皇の代数が皇統譜の先頭に回ります。先ほどの尾綱根命は孝昭天皇の子孫のため、それにつれて系譜の世代も三代の増えるとなります。下の例では孝元天皇の子は「記紀」の伝えでは開化天皇世代に当たり、孝昭天皇から数えて四世孫になりますが、実際に合わせて孝昭天皇を初代天皇に置くと懿徳天皇の子世代が、開化天皇世代に当たり七世孫と三世代降るとなります。海部穀定氏はこの三代降る系譜が古伝で、代数が短い「記紀」の系譜は、その成立を遡るものではないとも指摘します。要するに「記紀」成立時には改変が有ったとなります。
【記紀】
神武―綏靖―安寧―懿徳―孝昭―孝安(一世)―孝霊(二世)―孝元(三世)―開化(四世)―崇神天皇(五世)
【古伝】
孝昭―孝安(一世)―孝霊(二世)―孝元(三世)―綏靖(四世)―安寧(五世)―懿徳(六世)―開化(七世)―崇神天皇(八世)
想定は孝元天皇と綏靖天皇世代が重なり、神武天皇世代は孝霊天皇世代となります。各系譜の神武天皇から崇神天皇までは六代でした。宇佐神宮宮司家の宇佐公康氏もその著書で孝昭、孝安、孝霊、孝元天皇は和邇氏の、綏靖、安寧、懿徳天皇は物部氏の首長だと指摘しています。
神武天皇―綏靖天皇―安寧天皇―懿徳天皇―開化天皇―崇神天皇
『海部氏勘注系図』は始祖彦火明命から天香語山命、天村雲命、倭宿禰命(やまとのすくねのみこと)、笠水彦命(うけみずひこのみこと)、笠津彦命(うけつひこのみこと)、建田勢命(たけたせのみきと)、建諸隅命(たけもろずみのみこと)、日本得魂命(やまとえたまひこのみこと)と続きます。
系図には日本得魂命の次の世代に乙彦命(おとひこのみこと)、日女命(ひめのみこと)が記されます。その割注にそれぞれ亦名として、孝元天皇の和風諡号の彦国玖琉命(ひこくにくるのみこと)(大倭根子日子国玖琉命)、その兄弟の倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)を載せますので、その親の孝霊天皇が日本得魂命だと推測出来ます。
始祖彦火明命―天香語山命(子)―天村雲命(孫)―倭宿禰命(三世孫)―笠水彦命(四世孫)―笠津彦命(五世孫)―建田勢命(六世孫)―建諸隅命(七世孫)―日本得魂命(八世孫)(孝霊天皇)
「記紀」によれば孝霊天皇は第七代天皇と言います。孝霊天皇の和風諡号は大日本根子彦太瓊天皇(おおやまとねこひこふとにのすめらみこと)といい、そこに内包される瓊(に)とは玉のことです。天皇とは日本の国魂を得ていると捉えられることからも、日本得魂命と同様の意を持つとなります。
日本得魂命は始祖彦火明命から数えて八世孫に当たります。孝霊天皇は第七代天皇ですので、「勘注系図」では神武天皇世代は天村雲命がその世代に該当しています。
始祖彦火明命(彦火火出見尊)―天香語山命(鵜葺草葺不合尊)―天村雲命(神武)―倭宿禰命(綏靖)―笠水彦命(安寧)―笠津彦命(懿徳)―建田勢命(孝昭)―建諸隅命(孝安)―日本得魂命(孝霊)―乙彦命(孝元)
これを先ほどの「記紀」改変前の系図に当てはめると、綏靖、安寧、懿徳天皇は後の世代に回ります。
始祖彦火明命(彦火火出見尊)―天香語山命(鵜葺草葺不合尊)―天村雲命(神武)―建田勢命(孝昭)―建諸隅命(孝安)―日本得魂命(孝霊)―乙彦命(孝元)
始祖彦火明命、天香語山命、天村雲命は神代の世代に比肩されますので、実際の初代天皇(大王)は孝昭天皇こと建田勢命が該当します。また別系統の神武天皇は綏靖、安寧、懿徳、開化、崇神天皇と六代で繋がるとなりますが、神社伝承などから綏靖世代と乙彦命(孝元)世代が重なるとなりますので、想定は下記になります。
日本得魂命(孝霊)―乙彦命(孝元)
神武天皇 ―綏靖天皇―安寧天皇―懿徳天皇―開化天皇―崇神天皇
“海部氏勘注系図の解説1 初代天皇(孝昭天皇)の世代” への1件のコメント
[…] 著者の見解では、孝昭天皇が初代天皇となりますが、ここから見えるのはどちらも初代天皇の元年より宮中で祭られていたとなります。 […]