YouTube「桃太郎伝説の真実」と吉備津神社を制作しました。


桃太郎伝説の真実とは

 桃から産まれた桃太郎の鬼退治の御伽噺には、実在のモデルがいます。第十代崇神天皇の時代に現在の岡山県の吉備国に派遣された、四道将軍の一人の五十狭芹彦命(いさせりひこのみこと)と、討伐された温羅命(うらのみこと)が、後世に桃太郎と鬼とされた物語が作られることになります。現在でも吉備津神社では二人を祭ります。この度、桃太郎の正体(真相)に迫った動画をYoutubeにアップしました。
 吉備津神社は岡山県岡山市北区吉備津に鎮座し、社伝よるとその創建は、崇神天皇の時代に派遣されたという四道将軍の一人の五十狭芹彦命(いさせりひこのみこと)が営んだ茅葺宮の跡に造られた物だといいます。五十狭芹彦命は主祭神の大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)の別名で、吉備国に跋扈していたという温羅命を討伐しましたが、この歴史的事象が桃太郎の鬼退治の御伽噺の元となります。「鳴釜神事」が行われる御釜殿では、鬼とされた温羅命の精霊を鎮祭し、正宮の艮御崎宮でも温羅命を祭ります。このように吉備津神社は桃太郎と鬼のモデルの大吉備津彦命と温羅命を祭っている神社になります
 また吉備中山の麓に鎮座する式内名神大社の吉備津神社は三備一宮と称され、備前、備中、備後国の一宮はこちらからの御分霊といわれています。
鬼とされた、温羅命は吉備の王者といえる「吉備の冠者(かじゃ)」と称されていましたが、敗れた五十狭芹彦命にこれを献上して、五十狭芹彦命が吉備津彦命となります。
 歴史絵巻の舞台は、楯築遺跡、鬼ノ城、矢喰天神社(矢喰宮)、鯉喰神社へと展開します。オニとされた温羅さまと英雄となった吉備津彦命の物語。是非ご視聴ください。 

楽々森彦命と、桃太郎のお供たち。犬、猿、雉とされて人々の物語。

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