
先日、奈良県葛城市の長尾神社に再訪しました。いつか訪問してみたかった長尾神社に行ったのがいまから八年前。長尾という『日本書紀』の重要人物の市磯長尾市(いちしのながおち)をも思わせる、古代ファンの胸を熱くさせるミステリアスな神社名や、一説には祭神と伝わる水光姫(みひかひめ)がとても気になっており、胸が高鳴りながら鳥居をくぐったことを思い出します。
当時、境内に入り一通り参拝したあとに社務所に向かいました。そこで、気品のある女性に御朱印をいただきました。今思い返せば、それは吉川宮司さまの奥様で、そこで神社についてお話を伺い、また、水光姫の旧跡と伝わる井戸をご案内していただくなど、ご親切な対応をしていただきました。
神社に由来がある水光姫命は、神武天皇が東征した際に吉野の山中で出会った井氷鹿(いひか)のことだといい、井戸の中から現れたと記されることから、水神であるとも伝わる姫です。
奥様と談笑にあるれるひと時を過ごしていると、宮司さまがいらっしゃいました。宮司さまにも何時ものように、マニアックな質問を重ねていたのでしょう。しばらくたった頃に宮司さまが、今度は私に質問を投げ返してきました。
「随分と熱心だけど、君は、本か何かを書こうとしているのかね?」
内心、謙虚さを内に秘めようかと迷った私ですが、思い切って、
「いつか出したいという野望はあります」
と、答えました。仕方がない年下の不遜さを、ニコニコと眺めていた奥様が、少しいたずらっ子な表情で、
「では、書いたら連絡してくださいね。チャックしますから」
と、スマッシュにも似た爽快なお言葉で、会話を締め括ってくれたのでした。
その後も幾つかの、お二人との和やかな会話は続き、私の心の中心には、ほっこりとした暖かさが湧いたのでした。そして、神社の鳥居を潜るときには、「いつか、本を出さないとな」と軽く拳を握りしめて、その場を後にしたことを今でも鮮明に覚えています。
その日から五年が経ち、私は新潮社より、『神武天皇と卑弥呼の時代 神社伝承で読み解く古代史』を出版しました。日常を忙しく過ごしていても、心の片隅に長尾神社で交わした会話が、ふとした時に蘇ってくるのでした。
正月が来たと思えば、年末になっているという、時の流れを言い訳にしていると、あっという間に二年半が経ったのでした。
研究に、日常に、没頭している毎日でした。ここ最近、龍神を追っていたのですが、ある文献を眺めていると、あの日訪ねた、長尾神社の伝説が載っていたのでした。少し電気が身体を貫く感覚と共に、その文献を読んでいると、長尾神社の「長尾」とは龍神の尾っぽで、その頭は三輪山にあり、七回り半した後に胴が届いた先が長尾神社の鎮座地だとあります。また、大和高田市の竜王社は中間で胴体だともいいます。読み終えると私は、「ああ、もしかして訪ねるタイミングかな」と感じ、その直感で旅支度を整え、奈良へと向かうことを決意しました。
長尾神社の鳥居の前に立つと、あの日の胸の高まりが蘇ります。
「宮司さまや奥様はお元気だろうか?」
心でそう呟きながら、やや緊張気味に社務所の前に立ち、呼び出しをかけます。その時間の流れは、いつもより少しだけ、長く感じられました。
「不在ではないだろうか」
そんな不安が頭に過ぎるのも束の間、社務所の窓がゆっくりと開きました。すると、そこには懐かしい奥様のお顔がありました。私は安堵とともにお顔を拝見し、そして緊張の反動でか、堰を切ったように興奮気味に話しかけました。奥様はその熱意に、やや姿勢を反らし驚いているご様子でした。
頭の一方にいる自分がブレーキを効かせて、落ち着きを取り戻します。軽く胸に手を当てて自らを落ち着かせ、八年前の経緯を奥様にお伝えしました。
「そんなことがありましたか」
奥様は、そうおっしゃって、ご納得していただけたご様子でした。
その後に、話を続けて、本を御奉納したいと申し上げると、快くご了承いただけました。
残念ながら当日は吉川宮司にはお会いできませんでした。帰宅後に本を御奉納するために送付すると、折り返し宮司さまより、嬉しいお電話をいただきました。その際には、ご丁寧に神社に関する由来などを教えていただきました。
今回も突然に神社を訪問したにも関わらず、ご親切なご対応、またお手紙や史料まで頂戴いたしまして、本当にありがとうございました。今後ともお二人が幸せで、ご健康でありますように願っております。また、想い出溢れる長尾神社が、益々繁栄しますようにお祈り申し上げます。

2025年の春の穏やかな日に。