白鳥の神霊と飛鳥の由来。稲魂の大歳神と猿田彦大神【伏見稲荷大社二】



→伏見稲荷大社の大元神と男女一対の祭祀。宇迦之御魂大神と佐田彦大神、大宮能売大神。【伏見稲荷大社一】
上記の続きとなります。

5・白鳥の大歳神と田中社の猿田彦大神

 伏見稲荷大社の文献上の初出は『山城国風土記逸文』になります。そこでは、秦公が驕り、餅を的として弓を放つと、餅が白鳥に化して山の峯へ飛び去り、その地に稲が生じたと記されています。これにより考えられるのは、白鳥が稲魂の霊的化身であるということです。餅はもとより米から作られるものであり、米は稲に由来します。したがって、稲を生じさせる力をもつ稲魂が白鳥の姿に化して飛び立ち、その舞い降りた地に稲が実った、と物語られているのです。

 神道五部書の一つである『倭姫命世記』には、「稲をくわえた白い真鶴(原文:白真名鶴)」に関する説話が記されています。物語によれば、志摩国伊雑の上葦原中に一本の稲が生えており、その稲は根のあたりでは波のように揺れ、全体としては一本の弓のような姿をしており、穂の先には千の粒が繁っていたといいます。

 白い真鶴はこの稲をくわえて飛び回ったとされ、これをご覧になった倭姫命は「事問はぬ、鳥すら田を作る」と宣(の)しています。白鳥(真鶴)と稲の生成が密接に関連づけられている点から判断しますと、この説話は稲の霊(稲魂)を白鳥が運んでくるという観念を伝えているものと考えられます。

 『倭姫命世記』では、この白い真鶴は大歳神であるとされています。大歳神は、民間信仰においては年に一度訪れる来訪神と考えられています。また、稲が一年に一度収穫されることから、大歳神は稲作に関わる穀物神としても信仰されてきました。この構造を踏まえますと、大元神である宇迦之御魂大神と、その霊威を毎年田に運ぶ猿田彦大神の働きが、自然と重なって見えてきます。すなわち、稲の霊力を来訪神が田に授けるという観念が、両者に共通して流れていると考えられます。

 『山城国風土記逸文』および『倭姫命世記』のいずれにも、「白い鳥」が稲魂を運んでくると描かれています。これと同様の働きを担う神が田中大神であり、この神は、毎年、田に恵みをもたらすために山から降りて来ると信じられていました。

 こうした観念を踏まえると、歳神である大歳神と田中大神は、いずれも年ごとの稲の生成に関わる来訪神的性格を持つ点で、類似した霊格を有すると考えられます。さらに、田中大神は猿田彦大神として奉斎されることから、両神は性格が極めて近いか、ある種の同一神的側面を共有すると判断できます。

 『山城国風土記逸文』には、餅を的として射たところ、それが白鳥となって飛び立ったと伝えられています。これとよく似た話が、『豊後国風土記』の豊後国速見郡(ぶんごのくに・はやみのこおり)田野の由来として記されています。『豊後国風土記』によると、この地は豊かであったので百姓が驕り高ぶり、餅を的にしたところ、餅は白鳥に化て飛び立ってしまったところ水田は荒れ果ててしまったとされています。

 稲魂を白鳥が運ぶという観念は、古代以来、日本人の心性に深く根付いていたと考えられます。この観念においては、『風土記』や『倭姫命世記』に描かれるように、白鳥が飛来して田の中に降り立つとされています。
 一般に、“飛ぶ鳥”の名を負う地名として思い浮かぶものに、奈良県の「飛鳥(あすか)」があります。飛鳥は旧大和国に属する地域で、現在の奈良県飛鳥村にあたります。これまでの検討から、「飛鳥」という地名における“飛ぶ鳥”とは、田に生命力を与える白鳥の神霊を指したものであり、その働きを地名へと反映させたものと考えられます。
 「飛鳥」の名を帯びる神社としては、山城国に鎮座する飛鳥田神社が挙げられます。同社は『延喜式』「神名帳」において、紀伊郡の八座のうちの一社として記載されています。飛鳥田神社は「アスカダ」あるいは「トトリダ」と訓まれ、現在では複数の社が比定地とされています。
 その中の一つが、伏見稲荷大社の五社の一つである田中社とされていることから、「飛鳥田」とは、白鳥の神霊が田に降り立ち、稲魂をもたらすことを願った社であったと考えられます。(20251205)

参考文献
『日本書紀』監訳:井上 光貞 訳者:川副 武胤 佐伯 有清 中央公論新社
『古事記』 中村啓信=訳注 株式会社KADOKAWA
『風土記 上下 現代語訳付き』 中村啓信=監修・訳注 角川ソフィア文庫
『稲荷大社由緒記集成 [第2] (祠官著作篇)』伏見稲荷大社社務所 1953
『稲荷の信仰』 伏見稲荷大社 伏見稲荷大社 1951
『稲荷明神 : 正一位の実像』松前健 編 筑摩書房 1988.10

参考サイト
(1)     伏見稲荷大社(https://inari.jp/




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