朝熊神社の櫻大刀自神と、伊勢神宮内宮の「桜宮」。瀬織津姫命秘抄四。


1・大年神と桜大刀自神

 『古事記』が載せる系譜では大年神の父は素戔嗚命(湏佐之男命)でしたが、これには異説があり、『倭姫命世記』には、出雲建子命(いずもたけこのみこと)がその父だと載ります。出雲建子命は『伊勢国風土記逸文』等では、又の名を伊勢都彦命、又は天櫛玉命(あめのくしたまのみこと)とも伝わります。

 伊勢都彦命(伊勢津彦命)は『播磨国風土記』では、伊和大神の子として描かれます。伊和大神の伊和は「風土記」によると「神酒」(みわ)が語源といいますので、美輪の神となり、また、伊和大神は大己貴神の別称の葦原志許乎命(あしはらのしこをのみこと)として描かれますので、伊勢都彦命もその子となります。

 伊勢都彦命は神武天皇に派遣されたという天日別命に伊勢国を譲り、信濃国に落ち延びますが、大国主命(大己貴神)の子で、同様に信濃国に落ち延びる建御名方神と行動が重なることから、同一神ともみられています(1)。また、伊勢都彦命は天櫛玉命の別名を持ちましたが、これは大己貴神の幸魂奇魂である、倭大物主櫛瓺玉命(やまとおおものぬしくしみかたまのみこと)の「櫛瓺玉」(2)に通ずると考えるのは、違和感がないでしょう。頭を整理するために、一度、一連を系譜に纏めます。

大己貴神(伊和大神)―伊勢都彦命(建御名方神)―大年神

 大和神社左殿の祭神は、八千戈大神(大己貴神)と大歳神でしたが、同じ系譜上に並ぶのをみて取れます。

 『倭姫命世記』と同様に大年神の系譜を伝える物に『皇太神宮儀式帳』(こうたいじんぐうぎしきちょう)があります。同書は、延暦二三年(八〇四年)成立で、伊勢神宮内宮の年中行事の大綱、神々鎮座の伝承等を記した物ですが、そこには大年神は、神櫛玉命の子と記されます。神櫛玉命は伊勢都彦命の別名でしたので、伊勢神宮の伝えでは、大年神は素戔嗚尊の子ではないとなります。
 やや話が横にそれますが、伊勢都彦命(建御名方神)も、素戔嗚尊の一人といえるかもしれません。別稿する予定ですが、神武天皇を始め、「記紀」は複数人の人格を一人として纏めているのは再三取り上げている次第ですが、素戔嗚尊もこれの例外ではないということになります。

 『皇太神宮儀式帳』の大年神の系譜はその子に、櫻大刀自神(さくらおおとじのかみ)を挙げます。

神櫛玉命兒大歳兒児櫻大刀自

 この神の名称は女性の名称である「刀自」に、「桜」を接頭させて構成されていますので、女神となります。天照大神の異称は「桜神」といえ、その上に「大刀自」ですから、どうもこれは、ただならぬ存在と思われます。

2・櫻大刀自神は天照大神荒御魂

 櫻大刀自神は、『皇太神宮儀式帳』に朝熊神社の神として載ります。この朝熊神社は伊勢神宮摂社第一位という格式の高い社で、内宮にはかつて、この神社の遥拝所があり、それは「桜宮」と呼ばれていました。遥拝所には社がなく一本の桜の木があっただけでした。

 朝熊神社の遥拝所が「桜宮」ですから、その祭神は、「桜」に由緒のある神となりそうですが、現在の祭神は大歳神、苔虫神(こけむしのかみ)、朝熊水神(あさくまのみずのかみ)の三神となっており、一目で桜を想像できる祭神は含まれていません。しかし、延暦年間と、同社で最も古い記録の、『皇太神宮儀式帳』では、「桜神」の櫻大刀自を含めた、苔虫神、朝熊水神の三神を、その祭神として挙げます。

 小朝熊神社一處、称神櫛玉命兒大歳兒児櫻大刀自形石坐又苔虫神形石坐又大山罪命子朝熊水神形石坐

 ここでは大歳神ではなく、祭神の一柱は櫻大刀自となっています。『延喜式』「神名帳」では、朝熊神社は一座で記されることからも、櫻大刀自、苔虫神、朝熊水神の総称を、朝熊の神としていたか、または遥拝所が「桜宮」ということからも、本来は「桜神」の櫻大刀自神の一座が主祭神ではないかと思われます。

 朝熊神社は鏡の宮とも呼ばれますが、これは鎮座時に水火二神の白銅鏡が留め置かれたことを由来とします。『倭姫命世記』には

留置神寶。伊弉諾・伊弉冉尊、所捧持 白銅鏡二面、是也。
是則日神・月神所化之鏡也。水火二神爲靈物也。

と記され、鏡は伊弉諾・伊弉冉尊が捧げ持った日神、月神の化身だといいます。日神、月神の陰陽二神といえば、一対の神が想像されますが、この鏡が憑りつく神は、天照大神との別伝があります。

 文永十年(一二七三)三月の「西大寺思圓上人参宮記録(さいだいじしえんしょうにんさんぐうきろく)」には、朝熊神社の角に岩が有り、その上には、桜の木があると記されます。この桜木は櫻大刀自神の神体という説があるとも述べ、その木の南三尺のところに鏡二面を南向きにして立置いていたとも記されます。この他に、『小朝熊社神鏡沙汰文』によれば、二面の神鏡は、一面は宝殿内に、もう一面は、岩上に祭られたと有ります。

 これらを纏めると朝熊神社の角の岩の上にある桜木は、櫻大刀自神の御神体で、その前に鏡が一面、また二面が祭られた、となります。朝熊神社の鏡は、水火二神の化身でしたが、それが天照大神の御姿だという伝説を記すのが『問はず語り』です。

 岩波文庫所収の『問はず語り』の「小朝熊宮の伝説の事」に載る伝説では、鏡は天照大神の御姿をうつされた物で、宝前に納めていた鏡は、「我、苦海のいろくづを、すくはんと思ふあり」と、自らそこから出て、岩の上に現れたといいます。また、岩のそばに桜の木一本があり、高潮が満時には、桜の木の梢に宿ったと記されます。

 伝説では桜木の梢に天照大神が憑りついているとなりますので、要するにこれは、桜木と鏡は一体であることを示し、天照大神の神霊と、櫻大刀自神もまた一体となると伝えているのでしょう。

 櫻大刀自神のその名や、香取神宮内の、桜大刀自神社の祭神は木花咲耶姫と女神であることから、これは陰陽でいうと「陰」に当たるとなります。このことから、朝熊神社神宝の水火二神の霊物の鏡の内、桜木に掛かる鏡は、「水霊」だと思われます。

 櫻大刀自神は、『皇太神宮儀式帳』では、大年神の子でしたが、検討では大年神は大己貴神の一人といえました。再三ですが、これは、天照大神の和魂ともいえ、その后神は、荒御魂であり、水霊の瀬織津姫命の分霊となりました。その御子である、御年神もまた、その二つの要素を兼ね備えた神であるとなります。同様に大年神の御子である、櫻大刀自神は女神ですから、水火の内の水霊として、天照大神の荒御魂である瀬織津姫命を受継いでいると想定できます。

大己貴神(大年神)―櫻大刀自神(桜神、瀬織津姫命の分霊)
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天照大神荒御魂(瀬織津姫命)

 伊勢神宮内宮にはかつて一本の桜があり、それは朝熊神社への遥拝所でした。現在その地は、桜宮ではなく、「四至神(みやのめぐりのかみ)」の鎮座地になっています。何故、その場所から、桜木を神体とし、鏡を神宝とする社に拝礼するかの意味を問うならば、それは重いと言わざるを得ないでしょう。

 『倭姫命世記』では櫻大刀自神は、在地として姫を迎えた神として描かれます。『日本書紀』「垂仁天皇紀」では、「天照大神がはじめて天より降られたところである」、とされますが、これは一連の検討からは、天照大神が、天照大神を迎えている構図となると考えられます。(20240715)

(1)    佐藤洋太『かぐや姫と浦島太郎の血脈 ヤマトタケル尊と応神天皇の世紀』

(2)    『出雲国造神賀詞』

参考文献

八木意知男「桜の宮雑考」 瑞垣 (117)  神宮司庁広報室 編 (神宮司庁, 1979-03)

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