海部氏勘注系図の解説14 大枝王と大倉岐命の世代。大江山(大枝山)の大蛇と鬼退治伝説。


 『海部氏勘注系図』の十五世孫では景行天皇と川上眞稚命(丹波道主命)の娘のかぐや姫が結婚した姿を追いました。

川上眞稚命(十四世孫)―息長真若中比売(十五世孫: 迦具夜比売命、日葉酢姫)
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垂仁天皇(十四世孫) ―景行天皇(十五世孫: 応神天皇)

 「天日槍命の王朝」の景行天皇(応神天皇)と息長真若中比売の婚姻の構図は、その後男系は「天日槍命の王朝」に移ることを意味します。「勘注系図」は、この二人の子世代の十六世孫に丹波国造大倉岐命(たんばのくにのみやつこおおくらきのみこと)、その子十七世孫に丹波國造明國彦命(あかるくに/あけくにひこのみこと)、その孫世代の十八世孫に丹波國造建振熊宿禰(たけふるくまのすくね)と続きます。

景行天皇(十五世孫: 応神天皇)―丹波國造大倉岐命(十六世孫)―丹波國造明國彦命(十七世孫)―丹波國造建振熊宿禰(十八世孫)

 「勘注系図」はまた分注で、十八世孫の建振熊宿禰は稲種命(いなだね/いなだのみこと)だと記します。この稲種命は「勘注系図」に複数回出てくる名詞ですので普通名詞になりますが、その意味するところは系統が男系で変わったポイントを示していると思われます。男系が変わったと想定される景行天皇世代の十五世孫にも「一云、建稲種命」が記されるのはこの為だと思われます。

 本宗の系図とは別に、十八世孫の稲種命こと建振熊宿禰までの系譜を「勘注系図」は伝え、そこには大足彦天皇の子の大枝王(おおえのみこ)、その孫に大名方王(おおながたのみこ)、曾孫に建振熊宿禰を挙げ、この命が稲種命だとも記します。

景行天皇(十五世孫: 応神天皇=建稲種命)―大枝王(十六世孫: 丹波國造大倉岐命)―大名方王(十七世孫: 丹波國造明國彦命)―建振熊宿禰(十八世孫: 稲種命)

 大枝王は『古事記』によると景行天皇と迦具漏比売命(かぐろひめのみこと)の子だと載ります。迦具漏比売命は迦具夜比売命(日葉酢姫)でしたので、やはり「勘注系図」の十六世孫の本宗の大倉岐命は男系で大足彦天皇(景行天皇)と入れ替わっていると思われます。

 大枝王の配偶者は景行天皇の娘の銀王(しろがねのみこ)と『古事記』はいいます。銀王の父の景行天皇とは恐らく、大足彦天皇ではなくそれと並行する大王(天皇)である朝庭別王の子ではと思われます。そうなりますと景行天皇家は川上眞稚命、丹波大矢田彦命と二代に渡り嫁取りをしている姿が想定されますが、この構図は息長真若中比売、百師木伊呂弁(ももしきいろべ)の婚姻と類似します。類似というのは百師木伊呂弁と銀王の配偶者は異なるのではと思われるからですが、これは後述します。

景行天皇(十五世孫: 応神天皇)―大枝王(十六世孫)―大名方王(十七世孫)
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景行天皇(十五世孫: 朝庭別王)―銀王(十六世孫)

 大枝王の父は景行天皇ですので大枝王は成務天皇世代となります。大枝王と同じ十六世孫である大倉岐命のその分注には「稚足彦天皇の時代に大枝山に大蛇が現れて、人民が困っていたため群臣と共に討伐した(著者大意)」と有ります。稚足彦天皇とは成務天皇になりますので、景行天皇の次世代と揃います。
 この大枝山(大江山)の大蛇討伐の事柄は「勘注系図」にはもう一件あり、そこには大蛇を討伐したのは大枝王であると記されます。それぞれの違いは主人公が大倉岐命と大枝王の他に、事柄の該当年の干支が癸丑(みずのとうし)、辛酉(かのととり)との八年の違いが有ります。この期間の違いは大蛇とされた人物との抗争期間を表しているのかもしれません。
 また大枝王の大蛇討伐の記事には、大蛇の埋葬先と思われる地が「熊野郡川上郷尾土見甲山」と記されます。これは「勘注系図」が載せる、丹波大矢田彦命の埋葬地と同じです。

 「熊野郡川上郷尾土見甲山」に葬られた丹波大矢田彦命は、朝庭別王(みかどわけのみこ)の別名を持ち、その名から景行天皇に大王位(天皇)を譲渡したと想定される人物です。この伝承を鑑みるとその経過は、平和理に行われたのではなく穏やかではなかったと思われます。
 大江山には数々の鬼退治伝説が残りますが、その投影は敗れた者が「大蛇」や「鬼」として描かれたとみるのが妥当でしょう。

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