神武東征時に付き従ったという天種子命は『海部氏勘注系図』の十三世孫に当たる人物でした。『日本書紀』では神武東征時には豊予海峡で珍彦(うずひこ)と言う人物が登場します。珍彦は神武天皇の水先案内人となり、その褒美として椎根津彦(しいねつひこ)の名を賜ったとされます。
『日本書紀』によると珍彦は倭直部の始祖だといいます。『新撰姓氏録』にはこの珍彦(宇豆彦)の氏族が載り、「大和国神別、大和宿祢、出自神知津彦命也」と記されます。大和宿祢(やまとのすくね)は神知津彦命(かみしりつひこのみこと)を祖とするとあり、その分注に神知津彦命とは珍彦であり椎根津彦であると記されます。
『海部氏勘注系図』の十三世孫には珍彦こと神知津彦命と音通する、志理都彦命が記されます。またこの世代には、倭宿禰(やまとのすくね)や「一云、珍彦命」と記載されるのをみても、十三世孫が神武東征時として描かれた珍彦の世代のようです。
古代氏族の系譜にはまれに世代の混乱が現れます。それについて話はややそれますが述べます。その混乱の原因の一つは、この珍彦命のように本来は初代天皇よりも世代が大分後に降るのにも関わらず、「記紀」が初代天皇の事績の中に命を載せたため系譜の世代も、本来の世代から繰り上がって移動したことによって起こっています。他にも代数が本来より「記紀」の世代が長いため架空の人物を系譜に挿入したりなどの手法が有りますが、またの機会にご説明します。
『海部氏勘注系図』の十三世孫の本宗上には志理都彦命が記されます。志理都彦命の親世代の十二世孫の本宗上には建稲種命(たけいなだねのみこと)が載り、こちらの分注には「亦云、彦大毘毘命」と開化天皇の和風諡号が見えることから、建稲種命はその天皇の投影だと捉えられます。そうなりますと、その子に当たると思われる志理都彦命は「記紀」の天皇世代に当てはめると崇神天皇が該当するとなります。
建稲種命(十二世孫:開化天皇)―志理都彦命(十三世孫:崇神天皇、珍彦命)
この崇神天皇と重なる動きをしているのが五十瓊敷入彦命です。拙著『神武天皇と卑弥呼の時代』で説明済みですが、要約します。








“海部氏勘注系図の解説5 神武東征の世代。珍彦と五十瓊敷入彦命。” への3件のフィードバック
[…] 垂仁天皇は十二世孫世代ですのでその次世代の景行天皇は十三世孫世代になります。この景行天皇の皇后は「記紀」によれば播磨稲日大郎姫(はりまのいなびおおいらつめ)といいますが、「勘注系図」でも景行天皇と同世代の十三世孫世代に「一云、針間之伊那比大郎女」と記し、その正しさを今に伝えています。また神武東征世代は十三世孫世代でしたが、「宇佐家古伝」ではこの神武天皇の兄は景行天皇との伝承もこれに付合します。 […]
[…] 宇佐家古伝では御諸別命の父は神武天皇だと伝わることから、その父の稲背入彦命は十三世孫の人物に当たることは見て来ました。景行天皇は十三世孫ですので、稲背入彦命の父は景行天皇ではないとなります。稲背入彦命が彦狭嶋王(吉備の児島)や、播磨別の祖の瀬戸内王であると考えると、稲背入彦命の父は吉備津彦命の一人がその該当者であり、その襲名者が稲背入彦命と推測出来ます。 […]
[…] 大王であろう比古布都押信命と崇神天皇は同一人物と想定され、その崇神天皇は珍彦であるのは検討済みです。 武内宿禰の母は『日本書紀』では菟道彦(うじひこ)の女の影媛です(『古事記』では、宇豆比古(うずひこ)の妹の山下影日売(やましたかげひめ))。「因幡国伊福部臣古志」の系図でも菟道彦の女影媛でした。上記検討で比古布都押信命とは珍彦になりますから、ここから導けるのは、武内宿禰の父という比古布都押信命は義父であろうということです。 […]