出雲国造家は天照大神と豊受大神を奉斎す。


 出雲大社(いづもおおやしろ)の祭神は言わずと知れた大国主大神です。『日本書紀』では、高皇産霊尊が現世の統治権を我が子孫に譲るのを条件とした引き換えに、大己貴神(大国主神の別名)は幽界の神事を託されます。その際に大己貴神が住むべき宮の建造を、高皇産霊尊が約束したのを起源とし、そこでは出雲大社は天日隅宮(あめのひすみのみや)と記されます。またその祭祀は天穂日命が司るとあります。これらの言葉は経津主神から大己貴神に語られていますので国譲りの一つの実態は、物部氏との間で行われたとなります。
 『古事記』では経津主神ではなく建御雷神(たけみかづちのかみ)が、高皇産霊尊だけではなく天照大神の命令で派遣されます。これは饒速日尊と玉勝山背根子命と言い換えられますが後述します。

 この幽界の神事は天穂日命が司っているとなり、その子孫の出雲国造家が天穂日命の霊魂を代々火継をして現在にいたります。かつて出雲大社教管長であった千家尊宣(せんげたかのぶ)氏によれば、天穂日命が司った出雲大社の祭祀には「その昔、大国主神が祀っておられた神を、出雲国造が大国主神に代わって祀るという使命と、もう一つは大国主神そのお方を国造が祀るという使命」の二つの意味があるといいます(千家尊宣氏『神道出雲百話-皇室をめぐる日本の心』)。

 この「大国主神が奉斎していた神々」への祈りを行っているのが十一月二十三日の夜に執り行なわれる「古伝新嘗祭(こでんしんじょうさい)」です。千家尊宣氏によると新嘗祭はその年の新穀を、各神社の祭神に捧げるのが通例だが、この「古伝新嘗祭」では出雲大社の祭神の大国主神にむかって新穀を捧げるのではなく、大国主神が祭っていた神に「昔ながらに大国主神がお捧げになる」祭りで、大国主神に代わってそれを行っているのが出雲大社宮司といいます。
 『日本書紀』と照らし合わせると、この「大国主神が奉斎していた神々」は幽界の神事となります。「古伝新嘗祭」はその神々に祈り捧げ、また国造がその霊威を復活する儀式となります。これに使われるのが天照大神の火と、豊受大神の水だと国造家補佐の佐草家の文章には残りますので、要するに「大国主神が奉斎していた神々」とは天照大神、豊受大神となります。また、佐草自清(さくさよりきよ)氏は、この豊受大神の水は真名井滝の水であり、これは秘すべきだといいます(『重山雲秘抄』)。

 真名井滝は茶臼山山麓に有ります。この側には真名井神社(島根県松江市山代町)が鎮座し、その祭神は伊弉諾尊、天津彦根命(あまつひこねのみこと)です。神社由緒に「天津彦根命は天之眞名井の狭霧に成りまし、古くから当地方に居住する山代一族の始祖であらせられる。彼れ出雲国造家に伝はる火継式に当社眞名井の神水が用いられる所以である。」と有るのをみれば、真名井滝で霊威を受継ぐのは天穂日命ですので、その投影の一人が天津彦根命と言えそうです。
 以前検討済ですが、天津彦根命は玉勝山背根子命と言えました。また玉勝山背根子命の系譜は山代(山城)国の祖に繋がります。神社鎮座地もまた、山代であり由緒がいう山代一族とは、『出雲国風土記』山代郷に記載の所造天下大神、大穴持命の御子の山代日子命なのでしょう。

 この一連の事柄は以前、「海部氏勘注系図4」で書いた、下記系図と重なると思われます。

天押穂耳命(九世孫:玉勝山背根子命、大己貴命)―萬幡千ヶ媛命
                         ||
                        膽杵磯丹杵穗命(饒速日尊)

大己貴神―高光日女命(天道姬命、高照光姫、祖母命也)
       ||
     宇麻志眞治命(十世孫:彦火明命、和加布都努志命)―天香語山命(十一世孫:鵜葺草葺不合尊)―天村雲命(十二世孫:神武)

 これらは『海部氏勘注系図』において九世孫以降となります。玉勝山背根子命の始祖も天照大神のプロトタイプで有る、彦火明命となりますので、『古事記』で高皇産霊尊と共に国譲りを武甕槌神に命令している天照大神を仮託した人物とは、それを火継している一人の玉勝山背根子命の一族なのでしょう。
 幽界の神とされた「大国主神が奉斎していた神々」もまた天照大神と豊受大神でした。これは玉勝山背根子命より先代に当たる建田勢命、建諸隅命、日本得玉彦命、言い換えれば孝昭、孝安、孝霊天皇が奉斎していた神々なのでしょう。また実際の国譲りの世代は孝霊天皇の子孫たちが出雲国に入った後になりますので、数世代後になります。

日本得玉彦命(八世孫)―乙彦命(九世孫:建御名方神)―安波夜別命(十世孫:大原足尼命(出雲国大原郡))

 「国譲り」において建御雷神は建御名方神と戦うのはご存知のところでしょう。建御名方神が逃げていったと言う信濃国の諏訪には、建御名方神を祭る諏訪神社が有ります。『諏訪神社誌』には、建御名方神と父母を同じにし、建御名方神と同一人物とされる御穗須須美命(みほすすみのみこと)の又の名は火明命と伝わると記します。「大国主神が奉斎していた神々」の一柱が天照大神と考えると、その子建御名方神が天照大神と言える火明命を又の名として持つのは、首肯できる伝承です。

 かつて出雲大社宮司であった千家尊祀(せんげたかとし)氏はその著書で、「出雲国造が祀る神とは、意宇郡の熊野大社の神であ」る(千家尊祀氏『出雲大社』)としています。その主祭神の熊野大神櫛御気野命(くまののおおかみくしみけぬのみこと)について、千家尊祀氏は「クシとは神奇という意味をあらわす言葉であり、ミケヌとは御饌主であり総じて神秘にして且つ偉大なる穀霊・穀神という意味であって、豊作の豊饒を保障する神霊なのである。」といいますので、これが穀霊、穀神であると分かります。「出雲国造が祀る神」は伊勢神ですのでその穀霊、穀神と言えば豊受大神となるのは、説明不要でしょう。また『重山雲秘抄』によれば、この神は大日霊貴だといいますので出雲国造家が奉斎するのは伊勢内宮、外宮の神となります。

※こちらの論考は菊池展明氏の『出雲の国の女神 出雲大神と瀬織津姫』を基礎に、著者の考えを乗せました。また『諏訪神社誌』の情報は風琳堂の玉田由美子様から提供いただきました。

参考文献
『出雲の国の女神 出雲大神と瀬織津姫』菊池展明 (風琳堂)

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