猿田彦大神は、一般的に天照大神の神格が備わっていると言われています。また猿田彦大神を祭る猿田神社(千葉県銚子市猿田町)の秘伝では、猿田彦大神は天照大神の分身だと伝えます。
傳日ク、中ハ天照皇太神トモ申シ奉由、此命全ク天照大神ト一體分身ノ御神ナルユヘシカ云フニヤ、実二当社ノ深秘ナルヨシ
『猿田神社資料集』
神社本殿中央で猿田彦大神を祭りますが、『猿田神社資料集』によると本殿の祭神は天照大神だと言いますので猿田彦大神=天照大神となります。
通常は「出雲の神」と捉えられている猿田彦大神が何故、天照大神の神格を有しているのでしょうか。結論を先に述べますと「出雲神話」は「神話」ですから物語です。この神話は天照大神を御祖神として祭る一族、丹後(海部氏)や尾張氏族の総称を私は「タニハ」と呼びますが、その一族の歴史を神話として仮託した物語なのです。冒頭に挙げた猿田彦大神=天照大神なのかの答えは、猿田彦大神は「タニハの神」の一柱だからが結論になりますが、まずは話を進めていきましょう。
その謂れは天孫降臨の際に瓊瓊杵尊が降ろうとする場面に描かれます。
先駆の者がかえって来て報告して、「ひとりの神が天八達之衢にいます。その神は、鼻の長さが七咫、背の長さが七尺余り、七尋といった方がよろしゅうございましょう。また口のわきが光りかがやいています。眼は八咫鏡のように赫々とかがやいて、ちょうど赤いほおずきのようでございます」と申し上げた。
『日本書紀』神代下
この天八達之衢(あまのやちまた)にいた神が猿田彦大神だと言います。大神は「口のわきが光りかがやいています。眼は八咫鏡のように赫々とかがやいて」いる姿から、太陽神の神格、また「八咫鏡のように赫々」と伊勢神宮の祭器、つまり天照大神の鏡と重なることからも同一の神格があると見られています。またこの後大神は、「私の方は伊勢の狭長田の五十鈴の川上に行く」と五十鈴川の川上に向かいますがこの地は、倭姫命によって天照大神が初めて天より降られたと言われる場所でもあります。
この様に猿田彦大神は天照大神と重なる神格を持ちますが、恐らくは猿田彦大神も自身が天照大神その者というよりは、その霊威を日継(霊継、火継)した一人なのでしょう。別の言い方をすれば、「男神」としての天照大神の一人と言えるでしょう。より大胆な解釈を行うと、天照大神の荒御魂である瀬織津姫命の対偶神(夫)の一人と捉えられそうです。
具体的に猿田彦大神が誰なのかを記した系図が大神神社の社家、三輪高宮家の系図です。系図には都美波八重事代主命が猿田彦大神だと記されます。先述の検討で『海部氏勘注系図』と『三輪高宮家系図』の二つの系図は同じ内容を伝える物と言えました。そして『海部氏勘注系図』の先頭を飾る彦火明命は天照大神のプロトタイプでしたので、結局のところは大国主神、事代主命(二代)は天照大神を祭る一族だと結論できました。
『海部氏勘注系図』
彦火明命(天照大神)―天香語山命―天村雲命―三代略―建田勢命―建日方命(建諸隅命)―三輪高宮家と同系―大田田命(大田田根子命)
『三輪高宮家系図』
素戔嗚尊―大国主神―事代主命=猿田彦大神(天照大神の神格)―天日方奇日方命―数代略―大田田根子命
さて『三輪高宮家系図』の事代主命は猿田彦大神であり、上の系図は同系統を伝えますので、何故猿田彦大神に天照大神の神格が備わっているかは、もはや説明の必要はないでしょう。
先ほど猿田彦大神は天照大神の霊威を日継(霊継、火継)した一人なのではとご説明しましたが、『海部氏勘注系図』の彦火明命の子孫は、天照大神の霊威を現人神として引き継いでいる一族だと思われます。つまり、『三輪高宮家系図』はその系図と重なりますから、猿田彦大神も同様だと推測できるとなります。
さて、系図をもう一つ挙げて蓋然性を高めていきましょう。
『日本書紀』神武天皇紀によると、倭国造に任命されたのは珍彦(うづひこ)だと言います。この珍彦は所謂神武東征で水先案内人として活躍して、倭国造に任命されます、また倭直(やまとのあたい)の祖で、別名を神武天皇から椎根津彦(しいねつひこ)の名を賜ります。
この倭国造、倭直の系図が『古代氏族系譜集成』に載り下記になります。
【倭国造倭直系譜】
振魂命(布留多麻乃命)―武位起命―椎根津彦(珍彦)
系図先頭に現れる振魂命(ふるたまのみこと)は猿田彦大神だと言います。『豊受皇太神宮御鎮座本紀』は猿田彦大神の子孫である宇治土公家は神宮において、代々「玉串大内人(たまぐしおおうちんど)」につき、振魂命はその祖であると言います。つまり振魂命は猿田彦大神だと記しています。
さて【倭国造倭直系譜】と同じ内容を伝えるのが、『海部氏勘注系図』になります。系図は別伝で下記を伝えます。
『海部氏勘注系図』
彦火明命―武位起命―宇豆彦命―倭宿禰
【倭国造倭直系譜】
猿田彦大神 (振魂命)―武位起命―椎根津彦(珍彦)
二つの系図の先頭以外は重なりますから、先頭の神は同一神と捉えられます。『海部氏勘注系図』の系図先頭の彦火明命は天照大神のプロトタイプでしたが、【倭国造倭直系譜】の先頭の猿田彦大神もまた天照大神の神格が備わっているのは二つの神が同じ神格をもつ故です。また『三輪高宮家系図』は下記でした。
『三輪高宮家系図』
素戔嗚尊―大国主神―事代主命=猿田彦大神―天日方奇日方命―数代略―大田田根子命
これらから見えるのは猿田彦大神は、彦火明命の子孫であり、神話の世界の大国主神の子や、事代主神だと言う姿です。結局は猿田彦大神は海部氏(尾張氏)の神でしょう。
一般的に所謂「出雲」の神と捉えられがちな猿田彦大神ですが、天神である天照大神と重なるのは、出雲神とは神話の世界の名(神)で、そもそも架空の存在だからです。上の系図の『海部氏勘注系図』がリアルな世界、人々を伝える系図なら、それを秘すために神話として創作されたのが素戔嗚尊、大国主神や、事代主命となりそうです。
もう一つ資料をご紹介します。天照大神(タニハ神)=猿田彦大神=事代主神が繋がる資料に、江戸時代に伊賀国の地誌を纏めた『伊水温故』(いすいうんご)があります。それによると、事代主命は國常立尊だと言います。
平井天神宮 小田村
事代主命也、宮ノ地ノ字平井ト云。飛來天神ト書時ハ國常立尊也。
號都昧齒八重事代主命大己貴長男ニシテ素盞鳥ノ孫
『伊水温故』
この『伊水温故』が事代主命だと言う國常立尊は、神道五部書の一つ『伊勢二所皇太神宮御鎮座伝記』(いせにしょこうたいじんぐうごちんざでんき)(別名『大田命訓伝』(おおたのみことくんでん))によると國常立尊は猿田彦大神であると言います。
猿田彦大神を大田神と申すと共に、国底立神、気神、鬼神、興玉神と申す由、伝えられているが、〜中略〜国底立神は国常立神に通じ
『元初の最高神と大和朝廷の元始』より
実は国常立神は根源的で豊受大神や天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)に通じ、より大きな意味に繋がると思いますが、ここでは深入りしません。簡単に言いますと国常立神は猿田彦大神でもあり、『伊水温故』と繋げると事代主命=国常立神=猿田彦大神が成り立ちます。
数々の資料から捉えられる猿田彦大神は、天照大神の神格を持ちそれは事代主神であり、初代ヤマト王権を仮託した神である長髄彦尊と通じるとなります。纏めてしまえば猿田彦大神は「タニハの神」です。
最後に猿田彦神社の祝詞では、猿田彦大神は「さだ」の大神と上げるそうです。猿田彦大神をお呼びする時は漢字の「猿」を使い蔑称とも疑わそうな「さるた」ではなく、本来の「さだ」でお呼びしてあげて下さい。
“猿田彦大神と天照大神の神格” への1件のコメント
[…] 三輪山に降臨した天照大神の分身が猿田彦大神であることは既述ですが、今一度振り返れば、猿田彦大神は太陽神の神格を持ち、猿田神社や豊日別神社(福岡県行橋市南泉)の伝承では天照大神の分身と伝わっていました。 大神神社の由来から三輪山に降臨したのは、天照大神となりますが、それは大己貴神の幸魂奇魂であることを考慮すれば、その分身の猿田彦大神は、又の名を持つ事代主神だけではなく、その親の大己貴神をも含んだ太陽神を奉斎し、火継した者の総称と思われます。また「記紀」では天照大神は女神(女性)として描かれ、これのモデルになった人物は、一般的に孝霊天皇皇女の倭迹々日百襲姫や、持統天皇などの説が有りますが、いずれも男神の天照大神を火継した人物よりも後代になります。 「記紀」が天照大神を火継した天照大神の一人を取り上げ、女性として描いた為に、使用できなくなった男神の天照大神の名称が、猿田彦大神となったと思われます。 […]