「元伊勢」籠神社の恵美須神社(蛭子神社)と彦火火出見命。


先日みやづ歴史の館で講演をさせていただきました。さて、会場では時間もなく、また現場で言うには仮説で憚りが有りましたので、控えたお話を「おまけ」として載せておきます。

 丹後国一宮、「元伊勢」籠神社は「元伊勢」の名の通り天照大神と由緒の深い大変重要なお社です。

 勿論その本殿と祭神はとても重要なのは言うまでもありませんが、向かって右側にある境内社、恵美須神社(蛭子神社)には本殿に劣らない重要な神が祭られています。

 本殿向かって左手側には境内社がいくつか並び、どちらも神社に深い由緒がある神々が祭られていますが、右手側には恵比須神社が単独で存在する姿からも社の意味の深さが察せられます。

 神社発行の書籍『元伊勢の秘法と国宝海部氏系図』(昭和六三年版)によると、この恵美須神社の祭神は彦火火出見命と事代主命だと言います。

 祭神の彦火火出見命は言わずと知れた山幸彦に付与された別名ですが、この彦火火出見命の「彦火火出見」は、神武天皇が名乗る諱でもあります。諱とは死後に贈る尊称です。天皇に死後贈られる神武天皇で言えば、「神武」もまた諡(おくりな)です。初代天皇と言われる神武天皇に贈られた彦火火出見とは、天皇号に匹敵する称号を暗示しています。

 「彦火火出見」が称号として如何に重要かは山幸彦が誕生した経緯を見ると明らかになります。

 彦火火出見尊は、神話によると炎の中で産まれました。この炎の中で生まれた伝説は非常に重要で、これを「火中出生神話」と言います。

 世界的にも神話の類型の一つになっていますが、『日本書紀』では天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)が天降り、大山祇神(おおやまつみのかみ)の子とも言う鹿葦津姫(かしつひめ)、別名、木花之開耶姫(このはなさくやひめ)と結婚した場面で、この「火中出生神話」が語られます。

 瓊瓊杵尊と結婚後に鹿葦津姫は一晩で妊娠しましたが、瓊瓊杵尊はそれを信じず、「いくら天神でも一夜で人に妊娠させられるわけはない。おまえがみごもったのはきっと私の子ではないにちがいない」と言います。これを聞いた鹿葦津姫は怒りかつ恨んで、戸のない産室を作り、中にこもってしまいます。そして、「もし私のみごもった子が天孫の胤でなかったら、かならずその子は焼け死んでしまうでしょう。反対にもし本当に天孫の胤であったら、火も害なうことはできないでしょう」と誓いを立て、産室に火をつけて焼いてしまいます。

 この炎の中から火闌降命(ほのすそりのみこと)、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)、火明命(ほのあかりのみこと)の三柱の御子が生まれたと言います。彦火火出見尊の子が、彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)で、神武天皇の父になります。

 この話は鹿葦津姫が一夜で妊娠した事に疑念を抱かれて、強力な火の力でそれを晴らしています。普通は死んでしまう劫火の中から誕生出来た御子は、人智を超えた存在で有り、神の子と言えます。つまり、神の意で誕生した子ですから当然に疑念は払拭され、またその子は神意を受けたと言えます。この神意を得た人物は、王朝の祖に相応しい人物と言える訳です。

 神武天皇の祖父、山幸彦がこの神威を得た王者の称号と言える、彦火火出見尊で物語られるのには、大きな意味があります。結論から言ってしまえば、海幸彦、山幸彦の神話は、王朝交代を仮託した物語です。

 山幸彦の兄弟は海幸彦ですが元々、彦火火出見は、その名から海に由来する海幸彦が名乗っていた称号だと思われます。この神話はつまり、山幸彦の前に王者がいたことの暗示になります。

 山幸彦は海幸彦を倒し、この尊称を奪ったために山幸彦が、彦火火出見を名乗ります。そのため、その子孫である神武天皇が天皇号に匹敵する「諱」彦火火出見を襲名している訳です。

 では彦火火出見を奪われた海幸彦は誰の暗示かと言う疑問が湧きますが、仮説は恵美須神社(蛭子神社)に祭られている彦火火出見命が海幸彦ではないかとなります。振り返れば劫火の中から誕生出来たのは火闌降命、彦火火出見尊、火明命の三柱の御子でした。簡易な表現が許されるなら、この神意を受けた三柱には王朝の開祖になる資格があり、その称号が「彦火火出見」となります。

 この内の火明命は先日の検討で事代主命、長髄彦尊の御祖神と言えました。そして事代主命=長髄彦尊は王朝の開祖ですので「彦火火出見」を名乗っていたのでしょう。

 海幸彦の後裔で隼人の祖と言う火闌降命と、矛盾なくどう繋がるかはいずれの機会にお話します。

 結論を簡単に述べますと、こちらで祭られている王者の証と言える、彦火火出見命は山幸彦(彦火火出見尊)ではありません。恵美須神社(蛭子神社)は神社名からも事代主命が祭られているのは自明ですが何故、初代天皇号に匹敵する諱「彦火火出見」の名を帯びる彦火火出見命が、その社で祭られているかは先日のレジュメで詳述しましたが、事代主命(彦火明尊の後裔)が初代天皇だからでしょう。

 籠神社にご参拝の際には、日本の大和の根源を今にひっそりと伝える恵美須神社(蛭子神社)にも、是非ご参拝して初期ヤマト王権の息吹を感じ取ってください。

※一、『日本書紀』は特に断りがない限り、日本書紀は中公文庫から引用しています。

二、天皇号は何時から始まったのかは定説が安定しませんが、便宜上、『日本書紀』、『古事記』の表記に倣っています。

三、『古事記』は特にことわりがない限り新版 古事記 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)から引用します。

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