2 宮中から出された天照大神


『日本書紀』によると崇神天皇の五年に疫病が国中に蔓延して、国内の人口は半減したといいます。天皇の職務は古代から祈りでありますが、崇神天皇が行ったのは何故か謝罪でした(六年)。『日本書紀』の崇神天皇紀は左記を記します。

天皇は朝早く起きられ、夜遅くまで、謹んで天神地祇をお祭りになって謝罪されたが、疫病は治らなかった。

崇神天皇は謝りましたが疫病は治らなかったといいます。崇神天皇が謝罪した相手、つまりは疫病を起こして祟っていると、崇神天皇が心当たりのある神とは、天照大神と倭大国魂(やまとおおくにたま)だといいます。

これより先(※著者注 崇神天皇が祈祷するより前に)、天照大神と倭大国魂の二はしらの神を、天皇の居所(きょしょ)の中にお祭りしていたのであるが、神々は、それぞれの威勢を遠慮されて、ともに住みたもうことを心地よく思われなかった。

天照大神と倭大国魂を宮中から出した後に、その神々に謝罪の祈祷した訳ですが普通に考えると、恐らく崇神天皇が祟られる原因を作っているので祟られたと(心あたりがある)となりそうです。
翌七年になっても災いは治らず、困った崇神天皇は八十万(やおよろず)の神たちを集められ、占いをしました。このときに「自分をよく敬い(うやまい)祀れば、かならず平穏になると」言う神が神明倭迹迹日百襲姫(かみやまとととひももそひめ)命に乗り移ります。崇神天皇が名を問うと、神は大物主神(おおものぬしのかみ)だと名乗ります。
その後に崇神天皇が大物主神に祈りを捧げましたが、いっこうに効き目がなかったと『日本書紀』は語ります。その夜、崇神天皇の夢に大物主神が現れます。

「天皇よ、もう心配することはない。国が治まらないのは、私の意によるものなのだ。もし私の子の大田田根子に、私を祀らせれば、たちどころに平穏になるはずである。また海外の国も、自然に帰伏するにちがいない」

このように告げます。そして神の祟りの原因はこの大物主神の「意によるものなのだ」と明かします。
その後、倭迹速神浅茅原目妙姫(やまととはやかむあさぢはらまくわしひめ)をはじめとした三人が同じ夢を見ましたが、内容は大物主大神は子孫である大田田根子命に、倭大国魂神は市磯長尾市(いちしのながおち)に祭らせれば、かならず天下は太平になろうと言う物でした。
 崇神天皇はこの二人を見つけ出し、神主にすると祟りは治ったと言います。

著者は今登場した天照大神をはじめとした神々が前王家の御祖神であり、神々が崇神天皇に祟ると言う比喩とは、崇神天皇が前王朝を滅ぼしたことの暗示ではないかと疑っています。つまり、この崇神天皇紀の記事は王朝交代の傍証ではないかという事です。

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