歴史の闇に葬られたとされる「欠史八代」。『古事記』や『日本書紀』において事績が乏しいとされるこれら八代の天皇は、本当に架空の存在だったのでしょうか。いえ、そうではありません。各地に残る神社伝承や氏族の系譜を丁寧に紐解けば、そこには古代日本の礎を築いた大王(おおきみ)たちの、実に生き生きとした姿が浮かび上がってくるのです。
今回の動画では、第五代孝昭天皇から始まる一族こそが、「魏志倭人伝」に記された「卑弥呼即位前の男王たち」であったという視点から、邪馬台国前史の深層に迫りました。
海部氏の伝承に基づき、卑弥呼を孝霊天皇の皇女「倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめ)」に比定すると、歴史のパズルは見事に合致します。「魏志倭人伝」に記されている、倭国大乱の前に七、八十年続いたという男王の治世。これは一世代は大凡約二、三十年と計算すれば、ちょうど孝昭、孝安、孝霊天皇の三代に相当すると考えることができます。彼らは単なる神話上の存在ではなく、後の戦国時代のような「倭国大乱」の前夜、瀬戸内海を中心とした広大な領域を統治していた実力者、これはいうなれば、大王と捉えられる存在でした
その痕跡は、瀬戸内海沿岸に色濃く残されています。例えば、伊予国(愛媛県)の大山祇神社を奉斎してきた越智氏は、孝霊天皇の皇子を祖と仰ぎます。また、播磨国や阿波国(徳島県)には、孝昭天皇(御真津日子命)の名を冠した地名や神社が鎮座し、彼らが「水主(かこ)」、すなわち船乗りを束ねる海の一族として君臨していたことを物語っています。
なぜ、彼らは「欠史」とされたのか。そして、三輪山の大物主神や諏訪の建御名方神と、この一族はどう繋がるのか。動画本編では、神武天皇の東征よりも古い時代、日本の黎明期を切り拓いた「真の初代大王」とも呼べる孝昭天皇一族の足跡を、古文書と現地伝承から詳細に検証しました。
教科書の記述だけでは決して辿り着けない、古代史の真実。ぜひ、その目で確かめてみてください。








