【コラム】大己貴神社(於保奈牟智神社)の起源。福岡県朝倉郡筑前町弥永。


 大神神社を勧請した神社は、全国各地にあり、その神社を並べた書に、『大神分身類社鈔並附尾(おおみわ ぶんしん るいしゃ しょう ならびに ふび)』があります。福岡県朝倉郡筑前町に鎮座する、大己貴神社(弥永)はこの内の一つになります。同社は、『延喜式神名帳』 に筑前国、夜須郡一座、於保奈牟智(おおなむち)神社として記載されます。同社の説明によれば「我が国で最も古いといわれている神社のひとつ」といいます。
 大己貴神社の創建は、『日本書紀』仲哀天皇九年に記載される事柄を由来とします。仲哀天皇亡き後、神功皇后は所謂、三韓征伐を決め、兵を募りますが、集まらなかったといいます。そのとき皇后は「必ず神のご加護があるはず」といい、その際に立てられたのが、「大三輪社」であり、刀と矛を奉られたと記されます。ここから瀬織津姫命とも重なりあう神功皇后が祈る神とは、三輪山の神となりますが、これが同社のこととされます。大己貴神社はこの時に、三輪の神が勧請された社となりますが、このことは『大神分身類社鈔並附尾』にも同様に、「仲哀天皇御宇造神殿奉勧請」(仲哀天皇の御代に神殿を造営し、奉って勧請した)と、付記されます。

『大神分身類社鈔並附尾』

 勧請元の大神神社の奉斎は、その縁起書によると孝昭天皇元年を初めとします。また、『日本書紀』によれば、大神神社の祭神である大物主神は崇神天皇の時代に「我是倭国域内所居神」として現れ、子孫の大田田根子命に祭らせたといいます。
 ここまでを天皇系譜に沿って時系列に並べると、

孝昭天皇(五代:大神神社の祭祀)→ 大田田根子命(十代崇神天皇の時代に祭主)→仲哀天皇(十四代:に大己貴神社の創建)

 となり、大己貴神社の創建は勧請元の大神神社より九代降るとなります。
 このことは大神神社の社家の家譜、『三輪高宮家系』をみても追認することが出来ます。系図は大神神社の祭神の大国主命、その父の素戔嗚尊を祖とする物です。その子孫には大友主命が記され、その分注には、命が穴門之豊浦宮(あなとのとようらのみや)の時代(仲哀天皇)に仕えたことと共に、神功皇后が筑前国で祭った大物主神は、「於保奈牟智神社是也」と伝えます。この大友主は系図には大田田根子命の三代後に記され、『日本書紀』では、第十一代の垂仁天皇、第十四代の仲哀天皇紀に現れますが、いずれにしても、第五代孝昭天皇、第十代崇神天皇より降るとなります。

『三輪高宮家系』


 大神神社は、三輪山自体を御神体とし、本殿を持たないことで有名ですが、これは古式を伝えた物といいます。筑前国の大己貴神社は創建時に社を立てたことをみても、勧請元より創建が降るとみるのが自然でしょう。創建の由来が不詳な神社は世に多いですが、明確な由緒を持つ大己貴神社を、これからも誇りを持って大切に祭られることを願います。

引用文献
『三輪叢書』 大神神社々務所 編 大神神社々務所 1928

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