伏見稲荷大社の大元神と男女一対の祭祀。宇迦之御魂大神と佐田彦大神、大宮能売大神。


1・「お稲荷さん」と大元神の宇迦之御魂大神

 いくつもの赤い鳥居が並ぶお社とといえば、誰でもすぐに頭に浮かぶのは、お稲荷さまではないでしょうか。この「お稲荷さん」の総本宮が、京都府に御鎮座する伏見稲荷大社です。その主祭神は宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)といいます。
 「イナリ」の神さまは、『山城国風土記逸文』に載る「稲が成る」が語源とされています。少し長いですが、下記に引用します。

 風土記にいう。伊奈利というのは、秦中家忌寸(はたのなかつへのいみき)等が遠い先祖である伊侶具(いろぐ)の秦公(はたのきみ)は、穀物が多く採れ裕福になった。驕った彼は餅で弓の的を作って遊んだ。すると餅の的は白い鳥に変身して、飛び去り、山の峯に逃げてしまった。その場所に稲が生じた。そこで(稲ナリ=イナリという名を)社名に付けた。後、子孫は、祖先の過ちを悔いて、先の山中の社の木を根ごと引き抜き移植し、家に植えて十分に祭り(神に許された)。今(もその移植を行って占いをするが)、その木がちゃんと根付けば幸福になり、その木が根付かず枯れてしまえば幸福は得られない、という。(『風土記 現代語訳』中村啓信=監修・訳注『角川ソフィア文庫』)

 秦公が驕って、餅を的にして弓を放つと、餅は白鳥になって、山の峯に逃れそこには稲が生じたといいます。稲が生じたという峯が稲荷山の三ノ峯となります。ここでは稲の霊、稲霊(いなだま)から物理的な稲が生じたと伝えているとなりますが、神社側の説明では、「イナリ」の霊とは、人間生活の根源であった稲によって、天地の霊徳を象徴した古語とされています。一般的に「お稲荷さん」といえば、稲の神と狭い意味で考えられていますが、上記が述べていることは、そうではなく、稲を生じさせているより大元の神霊が稲荷の神ということです。
 神社側で編纂した『稲荷の信仰』には、「いなりノ神は、混元のみたまとそしてこのみたまから數限りなく顯現するあらたまの神々を總稱(そうしょう)する大きな神の御名なのです。それですから、いなり神の本質は諸神の親神であって、神人共にその神と仰ぐ大神にましますのです」とあります。簡単に纏めますと、日本では弥生時代以降に、稲は人間生命を維持する基幹となりましたが、それを生じさせているのが、稲霊(いなだま)、「イナリ」の霊となります。しかし、それは稲を生じさせているだけではなく物理的な物を含めた、あらゆる現象の元ということでしょう。

2・大元神の奉斎と一対の神としての佐田彦大神、大宮能売大神

 伏見稲荷大社の社伝では創建は和銅四年二月七日初午(はつうま)の日とされますが、文献的な初見は先ほどの『山城国風土記逸文』といわれています。その後の文献は、六国史(りっこくし)の一つ『続日本後紀』(しょくにほんこうき)、仁明天皇(にんみょうてんのう)承和(じょうわ)十 (八四三)年、同十一年、同十二年に、それぞれ神階授与があったことが記され、同様に六国史(りっこくし)の一つである、『日本文徳天皇実録』(にほんもんとくてんのうじつろく)には、文徳天皇天安元(八五七)年に稲荷神三前に正四位下を授けられたとの記事が載ります。平安時代の九二七年(延長五年)に完成、奏上された『延喜式』「神名帳」には稲荷神社(いなりのじんじゃ)は三座と記されます。
 このことから少なくとも平安時代の中頃には、伏見稲荷大社の祭神は三座であったと分かります。
 伏見稲荷大社には上、中、下の三社がありますが、これらが『延喜式』「神名帳」等の三座、三前に当たり、稲荷山の三つの峯に、それぞれ祭られています。現在の上社には、大宮能売大神(おおみやのめのおおかみ)、中社には、佐田彦大神(さたひこのおおかみ)、下社には、宇迦之御魂大神となります。
 伏見稲荷大社のご本殿には、下社の宇迦之御魂大神を中心に、向かって左右に中社の佐田彦大神、上社の大宮能売大神が奉斎されています。古来日本の神祭の形態は、大神神社、伊勢神宮を始めとして、大元神を男女の二神が斎き祭ることですが、伏見稲荷大社でも同様に、大元神の宇迦之御魂大神を、男女の佐田彦大神、大宮能売大神が奉斎したと『稲荷の信仰』では語られています。
 各文献から組み上げると、万物の根源である大元神を、日神の天照神と水神の瀬織津姫神の神霊を火継して現世で奉斎するのが、古来の神祭の姿となりますが、その代表ともいえる奈良県の大神神社の由来では、太陽神である天照神は、杉の木に降臨したと伝わります。
 稲荷社のお祭りといえば、「初午祭」が有名です。伏見稲荷大社の初午詣には、験ノ椙(しるしのすぎ)の吉例があります。これは毎年二月初めの巳と午の日にかけて、参詣人は、みな杉の小枝を請ひ受けて、これをかざしつつ家に持ち帰って富を祈る、伝統の信仰です。社伝によると杉は神木として影向(えがう)杉と称し、この木は、富ノ木ともいいます。それは富饒の富徳の徳を表はすと信じられているといいます(※1)。
 「初午祭」は同社創建の初午の日に因むともいわれますが、そこで信奉されるのが神木として影向杉です。「初午祭」の前日の巳の日には、稲荷山の杉と椎の大枝とを、山麓の本殿の大柱に飾り立てる古式があり、これは青山飾(あおやまかざり)の神事と称されております。神事は、神迎の標示であって大神のあらたまが、この地上に遍くみなぎり、豊かな陽春の恵みがもたらされる表象だといいます。また、大神の御魂は、杉の木に降りられて、馬に乗ってお出でになるとされます。
 伏見稲荷大社の神事をみると、稲荷の神は「杉の木」を依代にし、「初午祭」は巳の日に始まります。「杉の木」を依代とする神といえば大神神社の大物主大神で、その化身とされるのは、「巳の神杉(みのかみすぎ)」であることは広く知られています。このことから、伏見稲荷大社と大神神社は同一の神を祭っていると考えていいのではないでしょうか。
 大神神社では、大元神を陰陽二神のかたちで祀る祭祀形態をとっています。この構図を伏見稲荷大社の祭神に当てはめると、大元神が宇迦之御魂大神、男神が佐田彦大神、女神が大宮能売大神にあたります。

3・猿田彦大神と天照大神


 伏見稲荷大社の大元神の宇迦之御魂大神は、『二十二社註式(にじゅうにしゃちゅうしき)』には、稲倉魂命と記され、外宮の豊受大神と同体とされます。豊受大神といえば、御食津神のイメージを付与されていますが、この大神は食だけではなく、それを生じさせる根元神となります。ここで二神は同体とされる意味は、このことも示していると思われます。
 『二十二社註式』では、男神には猿田彦命、女神には伊奘冉尊が当てられ、伊奘冉尊は水神で罔象女命だとされます。現在は、男神の佐田彦大神と女神の大宮能売大神が一対として奉斎されていますので、これらを比べると猿田彦命、伊奘冉尊がそれぞれに対応しているとなります。

佐田彦大神(猿田彦大神、太陽神)
大宮能売大神(伊奘冉尊、水神)

 猿田彦大神は、『日本書紀』では、「口のわきが光りかがやいています。眼は八咫鏡のように赫々とかがやいて、ちょうど赤いほおずきのようでございます」と、八咫鏡を御神体とする天照大神と同じ太陽神として描かれます。また、千葉県銚子市の猿田神社(猿田町)と、福岡県行橋市の豊日別宮では、猿田彦大神は天照大神の分身と伝わることから、これは男神としての天照大神の異称と考えられます。
 天照大神を現人神となって火継している人物は少なくても世代ごとにいるわけですが、この内に男性が火継していた人物の一人が猿田彦大神とされているのでしょう。「記紀」が描く女神の天照大神は、女性して天照大神を火継をして女王となった人物となることは、海部穀定氏の記すところです。また同氏によれば、この女性は孝霊天皇以降に存在した人物で、その有力候補者は倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)となります。
猿田彦大神は女神、天照大神の孫の瓊々杵尊を導いた神とされますが、これは降伏を表していることになるのでしょう。これは男神として天照大神を火継している人物が、女神、天照大神の孫に降伏している姿を表したものとなります。
 伏見稲荷大社の現在の祭神である、男神、佐田彦大神と猿田彦大神は同一神としてもよいと思いますが、この名称を少し深掘りすると、佐田の「佐」とは桜に接頭する「サ」と同義で、これは幸いを表す接頭語とみることが出来ます。ここから、「佐」を除くと田彦となりますので、これは田の男神を表しているとなります。
 佐田大神といえば、出雲国の二宮の佐太神社(さだじんじゃ)が頭に浮かびます。佐太神社は、『出雲国風土記』秋鹿郡(あいかぐん)条に「佐太御子社」と記されることから、これを素直に受取ると佐太大神の御子神となります。「風土記」では、松江市島根町加賀の北にある岬の加賀の潜戸(かがのくけど)で生まれたとされ、その母は支佐加比賣命(きさかひめのみこと)とされます。同じことを記した書に、江戸時代の出雲地方の地誌である『雲陽誌(うんようし)』がありますが、そこでは加賀の潜戸で生まれたのは伊弉諾、伊奘冉尊の御子の天照大神となっています。両書を内容通り繋ぎ合わせると、佐太御子神とは、天照大神の一人となります。
 現在、佐太神社の本殿で祭られる佐太御子大神(さたみこのおおかみ)は猿田彦大神とされますが、上記から猿田彦大神は男神、天照大神となりますので、矛盾がないとなります。また、佐田大神とは御子神の親となりますから、佐太御子大神を天照大神の異称と置き、それを神統譜に合わせたときには伊弉諾尊が当てはまることになります。

伊弉諾尊(=佐田大神)―天照大神(=佐太御子大神)

 また、伏見稲荷大社の女神は伊奘冉尊とされ、その夫は伊弉諾尊ですから対偶である、男神、佐田彦大神と同一神となります。

佐田彦大神(=伊弉諾尊、日神)―天照大神(=佐太御子大神、天照大神の一人)
大宮能売大神(伊奘冉尊、水神)

 佐田彦大神は、田の男神といえる存在で、田から生産する稲作には、太陽の光と豊かな水が欠かせません。稲作の神である佐田彦大神の対偶の大宮能売大神が、水神であることから、佐田彦大神は、一方の日(火)を表しているものとなりそうです。
 大神神社の神は、伏見稲荷の神と同様に杉に憑りつくことや、日と水の神であることからも、これは結局のところ、大神神社の神である天照大神と瀬織津姫神と同じといって差し支えがないと思います。
 大神神社の大物主神は、大国主神の幸魂奇魂(さきみたまくしみたま)といいますが、これを佐田彦大神(=伊弉諾尊)と置き換えたときには、その御子神は大国主命の子が当てはまることに気づきます。その大国主命の御子の都美波八重事代主命は、大神神社の社家の系譜である『三輪高宮家系』に、亦の名を猨田彦神と伝えますので、一連が揃うとなります。

佐田彦大神(=伊弉諾尊、大国主命、日神)―天照大神(=佐太御子大神、猿田彦大神、都美波八重事代主命)

4・田中大神(権太夫大神)と猿田彦大神、瀬織津姫神


 伏見稲荷大社では上、中、下社の他に田中社の田中大神(たなかのおおかみ)、四大神(しののおおかみ)の五柱を一宇相殿で奉祀しています。神社側の説明では、これら五柱のご祭神名は、稲荷大神の広大なるご神徳の神名化されたものとしています。田中社と四大神は、上、中、下社よりも後に五柱に加わったとされるのが通説です。
 五柱の内、田中社の田中大神は下社の摂社、四大神は上社の摂社とされます。田中大神は、伏見稲荷大社の縁起を記した『水台記』等では、猿田彦大神とされ、民間では権太夫さま、権太夫大神と呼ばれています。
 田中大神の神名を考えると、「田の中に居る神」となります。先述の通り、祭神の祖神といえた佐田彦大神は、「田の男神」でありましたから、その御子神の猿田彦大神もまたそれを引き継いでいるとみて問題ないと思います。
 折口信夫(おりぐちしのぶ)氏などの民俗学者が指摘しているところ(※1)では、田の神は各地で、「春に山から里へ降り、秋に山へ帰る」とされ、山の神と同一視されています。これは山から降りてきた神は、田の中に入って、日と水の結合によって稲霊(いなだま)となるという信仰といえるのでしょう。
 「春に山から里へ降りて来る」とは、「田の神」を「田」に迎え入れることを指します。この神事が、先に述べた初午祭にあたります。民間ではこの祭りを「みいさんおうま」と呼びますが、それは祭りが宵宮の巳(み)に始まり、午(うま)で終わるため、そのように称されます。祭りの根源には東洋の陰陽思想があり、その思想では巳・午は陽気の満ちる時期に当たります。これを季節に当てはめると、初春の初午の日は陽気が充満する日とされ、その日に「田の神」を山からお招きし、降臨を願うのです。これが祭りの趣旨となります。

 その思想から考へてみますと萬物が生育し活動するのは、天地に陽氣の充満する春の季節で、陽氣の発動するはじめは、巳穴を出ると云ふ初春の萌しです。これを時刻で云へば太陽の中天に登り初める巳ノ刻から、陽氣の盛んになる午ノ刻であり、正午は太陽の眞上に昇りつめた時刻に當るわけです。これを方位からみると、南方即ち巽になります。 また、十二支に配営してみると、午とは丁度その中央の陽位になるのです(伏見稲荷大社編『稲荷の信仰』)。

 春に田に迎える神事と対になっているのが、旧暦の冬至に行われていた、「おひたきまつり」です。この祭りは、「春に田に迎えた」神を「秋に山へ返す」神事となります。神事は新穀の稲藁を燃やす古式で行われ、神のあらたまが元の御魂へ還られる儀式であるとされます。『稲荷の信仰』によれば、春に田へ降られた、御魂は稲穂の成熟によって、そのはたらきは済まされ、この依り坐しであった、ワラを焚き上げて御魂を、山へお送りするという信仰だといいます。
 「田の神」である田中大神は猿田彦大神とされるのは、先に述べました。この猿田彦大神は、「佐留田彦大神」と表記される場合があります。これは、猿田彦大神が田に恵をなす神とされることから、「幸いが田に留まる」の意味を表している神名となるのかもしれません。
 伏見稲荷大社の田中社は、下社、大元神の宇迦之御魂大神の摂社となります。この関係は、祭神の猿田彦大神は導きの神とされることからも、春には下社の稲倉魂を田に遷し、秋には還ってくる働きをしているとみることが出来るのではないでしょうか。
 再三ですが、田中大神こと猿田彦大神は男神、天照大神といえる存在で、これは日神となり、その対となる荒魂は、水神の瀬織津姫神となります。田に恵みをもたらす神である田中大神は、民間では権太夫大神と呼ばれています。稲作には日水が必要なことからも、この神は、男神の猿田彦大神を表しているだけではなく、水神の女神、瀬織津姫神を含めた一対の神の総称といえるかもしれません。


(1) 『古代研究 第1部 第2 民俗學篇』折口信夫 大岡山書店 1930

引用文献
『日本書紀』監訳:井上 光貞 訳者:川副 武胤 佐伯 有清 中央公論新社
参考文献
『稲荷大社由緒記集成 第2』伏見稲荷大社社務所 1953
『稲荷の信仰』 伏見稲荷大社 伏見稲荷大社 1951
『稲荷明神 : 正一位の実像』松前健 編 筑摩書房 1988.10
参考サイト
(1) 伏見稲荷大社(https://inari.jp/)


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